目まぐるしく変化するドローン業界
絶好調といわれるドローン業界。振り向けば過去といわれるくらい業界の進歩は急速だ。2016年初頭ドローン三強メーカといわれたDJI、Parrot、そして3D Roboticsも2017年を迎え大きな変化が見られた。Parrotは大規模な人員整理を行いコンシューマ向けドローン部門を大幅に縮小。そして3D Roboticsも同じく人員整理を行い風前の灯火と聞く。明るい話を聞くのはDJIぐらいである。たった一年で大きく局面は動いた。今回は、3D Roboticsが凋落していったの裏側を見てみよう。
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2014年、クリス・アンダーソンはドローンの未来について話をするために、カリフォルニア州バークレーにある3D Robotics社本部の屋外デッキにForbesの取材陣を案内した。Wiredの元編集長であるアンダーソンは、当時北米最大のドローンメーカーである3D RoboticsのCEOとして、ドローンが次世代コンピューティングとガジェットの、次のコンバージェンスになる理由を説明した。アンダーソンは数千億ドルのチャンスを掴もうとしていることを自信を持って語っていた。
アンダーソン:今、空にはドローンがいない。これはとても不思議なことだ。空でのチャンスを語る上で、我々はドローンだけに注目している。
当時と比べて、ドローンはPCやスマートフォンのように非常に価値のあるものとみなされつつあるが、実は3D Roboticsの先行きは暗い。業界をリードする米国のドローンスタートアップだった同社も、ここ最近はマネジメントの不備、不適切な予測、メインドローン「Solo」に依存した致命的な戦略によって失敗を招き、そのため生き残りに苦しむ企業へと変わってしまった。また3D Roboticsが提唱するDroneCodeの分裂など…。詳細については、DRONE連載中の春原氏コラムを参照してほしい。結果、3D Roboticsは150人以上の社員を解雇し、ベンチャーキャピタルの資金調達に約1億ドルを費やし、事業戦略を完全に変えている。
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Forbesは10人の元3D Roboticsの社員に同社の苦境について話を聞いたところ、売れ行きが落ち、競合他社の技術が急速に進化しているということに気づいていなかったという。そういった要因が、アンダーソンと同社の経営陣を消費者向けドローンの市場から退場させたのかもしれない。また、ある社員は、3D Roboticsの代表的な大衆向けドローンSoloの生産がつまづいた1年半ほど前から、崩壊の気配を感じていたという。さらに同社員は、3D Roboticsで起きた一連の流れは、シリコンバレーでよく起きる驕りからくる失敗であり、この驕りが3D Roboticsに1億ドルの大打撃を与えた原因だと述べている。
北米最高峰のドローン企業3D Robotics
3D Roboticsは、業績のピーク時にはベイエリア、オースティン、サンディエゴ、ティファナにオフィスを構え、350人以上の社員を雇用していた。また、リサーチ会社であるPitchbookによれば、Qualcomm Ventures、Richard Branson氏、True Venturesなどの投資家の評価は当時、3億6000万ドルを超えていた。アンダーソンは競合他社がほとんどいない消費者向けドローンの業界で、消費者だけでなくビジネス向けにも使えるフライングロボットを開発することを考えていた。彼は、子供たちが地元の公園でロボットを飛ばし、農家が同じデバイスを使用して、トウモロコシ畑を調査するといった未来を想像していたのだ。
その未来を3D RoboticsのSoloが実現するはずだった。Soloは、オープンソースのソフトウェアプラットフォームにより、多数の機能を作り出せるというソフト面と、洗練された黒い四角形のボディというハード面の特長を持つドローンだ。しかしSoloは2015年4月の販売以降、競合他社が繰り出す様々なドローンの前にその輝きを失っていた。3D Roboticsの元最高財務責任者であるコリン・ギン氏は次のようにコメントしている。
ギン:シリコンバレーに拠点を置き、ソフトウェアに特化した企業が中国の企業と競争するということは本質的に難しいということがわかったよ。
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企業向けの基調講演などで、ドローン業界のビジョンを定期的に発表していたアンダーソンだが、自社の異常事態に気づくのがあまりにも遅かったのかもしれない。3D RoboticsはSoloの製造に全力を費やしていたため、現在同社にどれほどの資金が残っているかさえ不明だ。昨年のインタビューで、アンダーソンは財務状況について濁していたが3D Roboticsは、今はエンタープライズソフトウェアに専念していると述べていた。ハードウェアを廃止し、消費者向けの一部を撤退させたのはそこが厳しい市場だったからだ、と彼は語っている。またライバル企業のDJIに関しては、
アンダーソン:DJIはすばらしい会社であり、多くの人が度肝を抜かれた。
と、今や世界をリードするドローンメーカーに賞賛を送っている。
最先端企業として隆盛を誇った3D Robotics
3D Roboticsはアンダーソンとジョーディ・ムニョスによって始まった会社だ。アンダーソンはドローン愛好家のためのオンラインコミュニティ「DIY Drones」を通じてムニョスに出会い、彼の自作の自動操縦システムに非常に感銘を受け、助ける意味を込めてアンダーソンは500ドルをムニョスに送った。これががきっかけで、この不思議な2人組は2009年に3D Roboticsを設立した。
ムニョスは手作りのドローンキットとオートパイロット回路基板を販売し、小規模なオペレーションを維持していた。アンダーソンはというと、DIY DroneフォーラムのマネジメントやWiredでの仕事など本質的ではない部分に注力していた。しかし、2012年になると、アンダーソンはムニョスとのドローンベンチャーに注意を向け始めたのだ。
1970年代にパーソナルコンピュータの誕生と台頭が見られたのと同じように、この10年はパーソナルドローンの登場を目の当たりにするだろう。
ークリス・アンダーソン
Wiredの記事に彼は綴った。その年の11月までにアンダーソンは、500万ドルの資金を確保し、Wiredの編集長を退任した。3D RoboticsはアンダーソンをCEOとし、事業運営をバークレーにて行うこととした。ムニョスはサンディエゴとティフアナでオフィスを展開し、翌年同社は、さらに3,000万ドルを調達した。
3D Roboticsが軌道に乗り始めたとき、深圳に拠点を置くDJIは、コンシューマドローンのパイオニアとしての地位を確立し始めていた。2006年にRCヘリコプター用の飛行制御装置のメーカー会社として設立されたDJIは、2012年にPhantomを発表している。このPhantomが、周知の通り消費者向けドローンのスタンダードとなった。DJIは中国の、他のハイテク企業とは異なり、世界市場をターゲットにしていた。そのためアメリカにもオフィスを設立し、トレードショーでPhantomを展示し、小売業者に販売を広げて行った。
それに対してアンダーソンらは、Phantomの覇権に挑戦するためSoloを送り出した。Soloは、Phantomの代名詞である白ではなく、黒のボディで塗装されている。スクリプト化された飛行経路、開発者のためのオープンコード、応答性の高い顧客サービスなどの機能を提供し、ソフト面の強さが売りの一つだった。
3D Roboticsは年間1,000万ドルをDIYパーツ事業に費やしていたが、すべてのリソースを新しいドローンSoloに集中した。家電メーカーであるSifteoを買収して、エンジニアリングチームをプロジェクトに引き込んだのもその一環だったのだろう。
3D Roboticsが2015年4月にラスベガスで開催されたNABshow(全米放送機器展示会)でSoloを発表したとき、デバイスのセルフパイロット機能とオンボードGoProジンバル制御が賞賛され「今までで最もスマートなドローン」という評価を得た。ドローンファンたちもPhantomに対抗するドローンの登場に歓喜した。その春、DJIの創設者兼CEOフランク・ワン氏は、アンダーソンと話をするためにバークレーを訪れ、同社の買収提案を明らかにしたとさえ言われている。しかし、Soloの出荷を開始しようとしていたアンダーソンはそれを固辞した。そして2017年明暗を分ける。時代は過酷である…。
3DRに襲いかかる闇
3D Roboticsの元社員はForbesに対し、2015年6月にSoloがBest Buyの棚に並んだ直後に問題があることに気づいたと述べている。その問題とは、安定した飛行を保証するためのGPSシステムが正しく接続されず、Soloがクラッシュすることがあるというものだった。またジンバル、すなわちカメラの安定装置の生産遅延に直面し、初期のSoloはこのアドオンなしで市場に出たため、主な用途である写真やビデオには適していなかった。Soloが発売されてから2ヶ月後まで、デバイスが顧客に届かないこともあった。
それでも、3D Roboticsの役員は、Soloの可能性を強く信じており、ホリデーシーズンの巨額の売上を予測していた。ある従業員によると、契約メーカーのPCHインターナショナルと、すでに6万台のクアッドコプターを製造することを約束していたアンダーソンは、6月中旬には4万台のドローンを追加生産することを決めていた。同社は2015年に6,400万ドルを調達しているが、そのほとんどは製造コストに埋もれていたという。
多くの人が、Soloの失敗の原因は3D Roboticsの大胆すぎる予測によるものだと非難している。ある従業員は「出荷数」と「販売数」の数字から致命的な間違いを予期していたという。同社はSoloの売上をBest Buyのような小売チャネルの在庫に基づいて予測していたため、こうした誤りが起きたのではないだろうか。なぜなら、小売業者は売れ残った在庫をメーカーに返すことができるからである。
2015年末時点で、3D Roboticsの工場フロアや船積みコンテナには大量のドローンの在庫が残っていたという。3D Roboticsは約2万2,000台しかドローンを販売できていなかったのに対し、DJIの勢いは増すばかりだった。ジンバルとGoProカメラを搭載したSoloは1,700ドル以上のコストがかかっていたが、DJIは自社工場ですでに同等スペックのPhantom 3プロフェッショナルパッケージを1,300ドルという破格で生産していた。ちなみに2016年にはジンバルとカメラを搭載したPhantomは1,000ドルしかコストがかかっていない。アンダーソンは次のようにコメントしている。
アンダーソン:私はそれほど価格が下がった市場を見たことがなかった。DJI以外は皆路頭に迷った。
DJIが市場を打ちのめすと、アンダーソンらは息をすることさえおぼつかなかった。彼らは2015年にラスベガスで開催されたCES(コンシューマーエレクトロニクスショー)を訪問した後、消費者向けドローン市場がすぐに数十社の中国企業と類似のクアッドコプターで溢れかえることを確信した。アンダーソンは考えを方向転換し、より大きな産業用バージョンのSolo“Blackbird”というドローンの生産計画を立て、製造からの道のりをプロットした。
1年足らずで、3D Roboticsのリソースは、Soloによって消滅していた。当時同社は、ドローンの在庫を6万台以上かかえていたため、サンディエゴ事務所とティファナ工場を閉鎖し、共同設立者のムニョスを迎え入れることにしたのだ。3D Roboticsは、契約メーカーのPCHに資金を支払うこともできず、代わりに米国特許と、特許に提出された書類の一部に詳述されている貸付契約を締結していた。
アンダーソンは同契約の詳細について話し合うことを拒否したが、この動きに精通した2人の社員が、3D Roboticsに残った在庫をPCHに渡し、ドローンの販売を手伝うことに同意した。ちなみにPCHの広報担当者はこれについてコメントを拒否している。
3D Roboticsの方向転換は確かに仕方がないものではあるが、市場を変えてもやはりライバルは多かった。Kespry、DroneDeployといったシリコンバレーの新興企業はソフトウェアソリューション開発のために何百万ドルもの資金を調達しており、3D Roboticsの競合相手となった。3D Roboticsが再生するためにはリソースが必要だが、そもそも競合に勝るそれがないというのが現実だった。それでも、アンダーソンはドローンメーカー向けのソフトウェア開発を推進することを示唆している。
アンダーソン:我々はSoloはもう生産しないし、ほかのドローンも作っていない。ハードウェアを作っている他社のアイディアは素晴らしいし、我々はソフトウェアとサービスの面に注力する。また、我々はシリコンバレーの企業でソフトウェアをやっており、ハードウェアは中国企業がやっている。
Soloとそのジンバルは、かつては市場で1,400ドルで販売されていたが、現在はかなりの割引価格で見つけることができる。 Best Buyでは、両方の製品を500ドルで提供していることも確認されている。3D Roboticsとアンダーソンの復活はあるのだろうか。今後の展開に注目である。