2019年4月、パリのノートルダム大聖堂が火災に見舞われるというニュースが、世界中を駆け巡りました。誰もが知る文化遺産、その象徴的な尖塔が消失してしまうという衝撃的な出来事は、誰の記憶にも新しいと思います。
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修復は困難と思われた矢先、実はノートルダム大聖堂には3Dデータが残されているということが判明し、注目が集まります。ベルギーの美術史家アンドリュー・タロンが、2015年にレーザースキャナーを利用して、10億点以上の点群による精密な3Dモデリングデータを製作していました。
また、文化遺産の3Dデジタル化と模型製作を専門とするフランスのArt Graphique Patrimoine(AGP)も、ほぼ同時期に大聖堂のデジタルスキャンを実施し、そのデータはなんと500億個もの点群データを有するといいます。これらのデジタルデータを元に、失われた尖塔を修復できるかもしれないという希望がわいてきました。
建造物などをデジタルスキャンする場合、建物の内側のデータ生成については、三脚に固定したLiDAR機器を利用することが多いのですが、巨大な構造物の外観をスキャンする際、有効な方法はドローンによるフォトグラメトリーです。
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フォトグラメトリーは、被写体をさまざまなアングルから撮影し、そのデジタル画像を解析、統合して立体的な3DCGモデルを生成する手法です。被写体となる対象物のサイズが大きい場合、空中から自由自在に撮影することができるドローンが活躍するわけです。
ドローン×カルチャーがテーマの本連載。今回はドローンを利用した文化遺産の3Dデータ化にチャレンジしたので、ご紹介したいと思います。
東京の歴史的建造物をフォトグラメトリーで3D化
東京湾、レインボーブリッジのすぐ脇に浮かぶ「品川第六台場」。幕末時代、迫り来る諸外国からの脅威に備え、江戸幕府の命により建造された砲台を設置するための人工の島です。建造されてからすでに150年以上が経過していますが、その間、修繕などはほとんど行われておらず、現在、周囲の石垣には今にも崩れ落ちそうな状態の箇所が見受けられます。しかし、東京都の条例や文化財保護法等によって島への上陸は禁止され、それゆえ調査や修復ができないという状況に陥っているといいます。
ドローンであれば島へ上陸せずとも調査ができ、また、精巧な3Dモデリングデータが製作できれば、今後の修復にも役立てることが期待できます。石垣の3Dデータは、文化遺産のデジタルアーカイブとしては定番の素材です。約100m四方の大きさの島を丸ごとデジタルスキャンするというのも、規模として申し分のない相手。しかし、場所は東京都心、そして船舶の往来の激しい東京湾。フライトに至るまでに多くのハードルがありました。
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法律をクリアする
東京湾でドローンを飛行させるには、様々な法令が関係します。今回のフライトに関しては、複数の関係機関へ申請や届け出を提出する必要がありました。関連する法令と申請先についての概要をご説明したいと思います。
(1)航空法
基本中の基本である航空法については、以下の2つの禁止項目に該当する可能性がありました。
該当する禁止項目
- 人口集中地区(DID)上空での飛行
- 第三者の人または物件から30m未満の飛行
撮影対象である第六台場自体が第三者の物件に当たりますし、またドローンの飛行中、航行中の他の船舶からの距離を十分確保できない可能性があります。したがって、以上の2つの項目について航空局から許可を取得しました。
ちなみに、今回の飛行場所付近は羽田空港の円錐表面に該当しますが、高さ制限が海抜150m程度のため、フライトの最高高度を100mと設定し、「空港周辺の飛行」に関する申請を不要としました。
(2)港則法、東京都港湾管理条例
東京港でドローンを飛行させる場合、東京港管理事務所に届け出を提出して受理された後、さらに東京海上保安部へ届け出る必要があります。電子申請やメールでの提出は受け付けておらず、窓口まで書類を持参しなくてはならないのが面倒です。
お台場エリアは遊覧船や貨物船が頻繁に航行するため、ドローンを飛行させる際はかなり厳しい目で審査されます。今回のフライトでは船からの離発着を行いましたが、自分の船の移動範囲とドローンの飛行範囲について細かく緯度経度を設定し、詳細な飛行計画を提出しなくてはなりません。
レインボーブリッジ周辺の海上エリアについては、過去に何度も届け出を提出したことがあるのですが、毎回修正を指示され、なかなか想定しているフライトが実現できず、いつも骨の折れる作業となります。
(3)東京都条例
東京都が管理する第六台場は、実は国指定史跡であると同時に野鳥保護区に指定され、上陸することが禁止されています。また、第六台場上空は条例によってドローンを飛行させることもできません。島の上空を飛行するための申請の仕組み自体が存在しないため、この制約は必ず守らなくてはならないルールとなります。
詳細なフライトプランを立てる
申請の際に、それぞれの法令の制約を考慮した大まかな飛行計画を書類にして、提出する必要があります。例えば、航空法の観点からレインボーブリッジと十分な距離を確保し、万が一の際に橋に衝突しないように飛行高度を決定し、飛行範囲も図示する必要があります。海上保安部からは、周辺を航行する他の船舶の安全を最優先とする飛行範囲(水平距離と高度)を指示され、その条件を満たす飛行計画を立てなくてはなりません。
フォトグラメトリーによる3Dデータを製作する上でもっとも大きな制約となったのが、東京都の条例によって島の上空を飛行することができないという点です。第六台場の真上を避けて周囲から画像を撮影しなくてはならないわけですが、この場合、真俯瞰からの視点の画像が不足することによって島の中央部のデータが生成されず、3Dデータがドーナツ型になってしまう可能性があります。
重要なデータは周囲の石垣であり、さらに中央部はもはや林と化しているので、アーカイブの観点からは不要と考えることもできますが、中央部のデータが欠損しているとさすがに格好が悪いので、出来るだけ完全な3Dモデルが完成するようにフライトプランを立案しました。
プランを立てる上で重要なポイントは、使用するカメラとレンズのスペックです。石垣を可能な限り精細に撮影することが目的ですが、考慮すべきいくつかの重要なポイントがあります。
フォトグラメトリーのポイント
- 撮影素材のピクセルあたりの画素分解能が、アーカイブの目的を満たしていること
- 充分なラップ率(次に撮影する画像と重なる割合)を維持して撮影すること
- 効率的に撮影できること
例えば、望遠レンズで撮影すれば分解能は高くなり、石垣のズレだけでなく微細な劣化などの詳細を確認することができますが、画像1枚当たりの撮影範囲が小さくなってしまうことで、撮影枚数が増加し作業効率に影響します。
また、センサーサイズの大きなカメラを搭載すれば、広角なレンズでも高い分解能を得られますが、そのカメラを搭載するためのドローン本体サイズが大きくなり、海上でのオペレーションが困難になることもあります。要求される画像精度、作業効率、データ処理時間などを考えて、最適な組み合わせを検討する必要があるのです。
今回の最大の目的は、第六台場の周囲の石垣の状態(ズレや亀裂)を確認することであり、インフラ点検業務などで要求されるピクセルあたり1mm以下の画素分解能は必要ないと判断されます。そこで、今回使用する機材を以下のように選定しました。
使用機材
- ドローン:DJI Inspire 2
2オペレーション/自動航行可能、衝突回避センサー有 - カメラ:Zenmuse X7
センサーサイズ(静止画):23.5×15.7mm - レンズ:DL-S 16mm F2.8 LS ASPHレンズ
35mm換算で24mm相当
石垣に10mまで接近した撮影を想定した場合、この機材の組み合わせでは、静止画1枚あたりの撮影範囲は、縦9.8m×横14.7mと算出できます。また、このときの画素分解能はピクセルあたり約2.5mmであり、石垣のズレなどの不良状態を把握するには充分だと言えます。
フォトグラメトリーを実施する際、一般的に80%程度のラップ率が推奨されていますが、80%を維持した場合、1枚目から2枚目の撮影までの横移動距離は約3m。1回シャッターを切り、次のシャッター位置までの移動にかかる時間を20秒と仮定すると、全長約570mの第六台場の周囲を撮影し終わるために要する時間は単純計算で95分程度と想定されます。実際の撮影では、島のそれぞれの辺ごとに船を移動させて撮影を行うため、移動や準備に追加の時間を要しますが、現実的なタイムスケジュールで撮影ができそうな計画です。
使用レンズの静止画撮影範囲とアップ率
被写体である石垣との距離(10m)の維持は、センサー等で正確に測定する機能がInspire 2には搭載されていないため目測で行います。操縦は2オペレーション。カメラ担当はモニターを見ながらラップ率を確認してパイロットへの移動の指示、機体の静止状態を都度確認してシャッター操作を行い、ブレの無い静止画素材を確実に撮影します。
島中央部の撮影データは、石垣ほどの分解能を必要としないので、島の周囲から抜け漏れなく全体を撮影できる飛行高度とカメラのチルト角、撮影画像のラップ率を設定して、自動航行で撮影することにしました。
フライトプラン
1.石垣の接近撮影
カメラが石垣に正対し、10m程度まで接近して撮影
撮影素材形式:静止画
ラップ率:80%
操作方法:マニュアル操縦
2.島全体の撮影
高度70m程の上空から、最大約20°のカメラチルト角で島全体を撮影
撮影素材形式:静止画
ラップ率:80%
操作方法:自動操縦
フライトプラン立案
3Dモデルの生成
3Dモデル化やマッピング、解析を行うことができるソフトウェアは様々存在しますが、今回はDJI Terraを使用することにしました。2019年にDJIがリリースしたソフトウェアで、飛行ミッションの作成と実行(Phantom4シリーズに対応)、2Dマップ/3Dモデルの生成、解析などを行うことができますが、特長として、操作が比較的簡単で効率的に3D点群データを生成できるということが挙げられます。
撮影した静止画素材をDJI Terraに取り込み、3Dモデル化の処理をかけます。数時間に及ぶ演算処理を経て、完成した3Dデータがモニターに現れた瞬間、鳥肌が立つような興奮を憶えました。生成された3Dモデルは、石垣の様子を克明に再現し、まるで自分が間近で手を触れて調査しているような、詳細な姿を見てとることができたのです。
DJI Terraにより製作した第六台場の3Dモデリングデータ
ソフトウェアによっては、計算処理後に3Dモデルがうまく形成されず、手作業による後処理の工程を必要とすることが多いのですが、一度の処理でこれ程まできれいにデータ生成できていることに驚かされます。また、島を覆う木々や葉などは、一般的に溶けたようなデータになりがちですが、植生も自然に表現されています。
DJI Terraは、マニュアル操作による高度な処理を行う機能は無いものの、撮影素材を処理にかけるだけで完成度の高い3Dモデリングデータを作成することができる、とても優秀なツールだということが実感できました。データが完成してからというもの、しばらくの間、夜な夜なパソコンの画面を開いては、モニター上の第六台場の石垣をいろいろな角度から眺めて楽しみました。
デジタルアーカイブにドローンを役立てる
以前から文化遺産のデジタルアーカイブにとても興味を持っていたこともあり、今回の品川第六台場の3Dデータ化が成功したことを機に、引き続き文化遺産の3D化、デジタルアーカイブ化に取り組んでいます。その中で、文化財を管理している団体や機関の方々とお話をすると、研究や教育目的ではなかなか費用を捻出できず、デジタルアーカイブ化が進まないという現状が分かってきました。
しかし、デジタルデータが必要になるのはそれが失われてしまってから、つまり、本当に欲しいときになってからでは作ることができないという事実があります。世界的に価値を認められた有名な遺産であれば、大きな予算を得てプロジェクト化することもできるでしょうが、無数に存在する小さな文化遺産をデータ化するのはなかなか困難です。
ただ、例えばクラウドファンディングで資金を集め、文化的価値を認識、共有した一般の市民によってデジタルデータ化が成功した例もあります。国家的なプロジェクトでなくとも、このように民間の手によって、デジタルアーカイブが増えていくことが望ましいのではないかと思っています。
ここ数年、東京の街はオリンピックに向けた大規模な開発経て大きく変わりました。これは個人的な性分かもしれませんが、街を歩きながらふと見慣れた建物や景色が消えてしまったことに、何とも言えない寂しさを感じるときがあります。そんなとき考えるのは、すべてのものはいずれ文化遺産になりうるのだということです。
何気なく街を写した1枚のスナップ写真が、後に文化的に大きな価値を持つ資料になることもあります。春画だって100年経てば国の博物館に展示されるわけです。どんなものにだって、時間は等しく価値を与えるものなのです。
だから僕は、今のうちから「未来の文化遺産」を片っ端からデジタルデータ化したいと考えています。たとえ今はありふれた存在であっても、遠い未来に必ず価値が生まれるのだから。データ化する際に、今そこに存在するリアルの文化遺産を見つめ直すことで、それが無くなってしまう前に価値ある大切なものとして認識し、永く残していけるのではないかと考えています。